【ポケットモンスター 青】発売背景から現代における評価まで ゲームボーイ 1996年発売

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【ポケットモンスター 青】発売背景から現代における評価まで ゲームボーイ 1996年発売

1996年2月27日に発売された『ポケットモンスター 赤・緑』は、従来のゲームボーイ市場が成熟期に入る中で、リンクケーブルを使った「みんなで遊ぶRPG」という新たな体験を世に知らしめました。

当時、据え置き機ではNINTENDO64PlayStationセガサターンが注目を集め、家庭へのインターネット普及もまだ初期段階だったため、通信交換という斬新なシステムは子どもたちの口コミで瞬く間に広まり、ゲームボーイ本体の需要を再燃させるきっかけとなりました。

月刊『コロコロコミック』との連携による幻のポケモン「ミュウ」配布企画や、1996年10月にトレーディングカードゲーム、翌1997年4月のテレビアニメ開始など、メディアミックス戦略が功を奏して、ゲームを超えた社会現象を巻き起こしました。

こうした初代ポケモンの成功を背景に、同年10月に通信販売限定でリリースされたのが『ポケットモンスター 青』バージョンです。

ディレクターによれば「寒色の『青』は初回発売の『赤・緑』とは同時に出せない」という理由から、当初は小学館の雑誌誌上通販のみで入手が可能というレア感の強い販売形態が採られました。

後に1999年10月10日から一般店舗での発売が開始され、税別3,000円で誰でも手に取れるようになったことで、初代ブームをさらに盛り上げました。海外版では『赤・青』が最初に発売され、日本オリジナルの『緑』は存在しない点も、シリーズの展開に国際的な特色をもたらしました。

発売背景と当時(1996年)の市場状況

1996年2月27日、ゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』が発売され、日本国内で822万本を出荷(2000年3月時点)、世界累計では2904万本を記録するロールプレイングゲーム史上の大ヒットとなりました。

当時、据え置き機市場では1994年12月に登場したPlayStationや1996年6月に発売されたNINTENDO 64が注目を集め、家庭向けインターネット普及率はわずか3.3%に過ぎず、ケーブル通信を利用した対人プレイはほとんど例がない時代でした。

しかし、『赤・緑』は異なる2バージョン間でポケモンを交換しなければ図鑑を完成できないという斬新なゲームデザインと、「ケーブルを通じたコミュニケーション型RPG」という新機軸によって子どもたちの口コミを加速させ、沈静化しかけていたゲームボーイ市場を再び活性化させました。

さらに任天堂は月刊『コロコロコミック』などで幻のポケモン“ミュウ”の存在を都市伝説化し、約7万8千通の応募が集まる読者プレゼント企画を実施。1996年10月にはトレーディングカードゲーム、翌1997年4月にはテレビアニメを立て続けに展開するなど、徹底したメディアミックス戦略で社会現象的なブームを生み出していきます。

こうした反響を受けて、同年10月15日には『ポケットモンスター 青』を小学館8誌を通じた雑誌通販限定でリリースし、数万件に及ぶ注文が小学館側の処理をパンクさせるほどの人気を博しました。
通信販売版は裏面にバーコードがなく「小学館」のロゴが入っており、追加販売はローソンでも実施されため、中古市場では一時1万円前後にまで高騰します。
その後、1999年10月10日に一般発売が開始され、税別3,000円という手頃な価格で多くのファンが『青』を手に取れるようになり、初代ポケモンブームをさらなる高みに押し上げました。

開発秘話と技術的な側面

『ポケットモンスター』シリーズはゲームフリークが開発を担当しており、ディレクターの田尻智氏が自らの幼少期の虫取り体験をヒントに「生き物を集めて育て交換する」ゲームデザインを発案したことで誕生しました。開発は約6年もの長期にわたり難航し、当初は小規模なチームでスタートしています。実際、『赤・緑』開発当時のプログラマーは4人ほどしかおらず、『金・銀』の時代になっても開発陣は極めて少人数でした。
この限られた人員でゲームボーイの性能ギリギリまで創意工夫を凝らし、本作の基礎を築き上げています。

ゲームボーイはモノクロ4階調表示・8ビットCPUという現在から見れば極めて制約の多いハードでした。
容量との闘いは開発当時から語られる逸話の一つで、プログラムの無駄を削り、データ圧縮技術を駆使して151種類ものポケモンデータやマップを1メガビット級のROMカセットに収めました。

例えば、幻のポケモン「ミュウ」は本来予定のなかった隠しキャラクターでしたが、開発終盤にデバッグ用プログラムを削除して生じたわずかな空き容量を利用し、スタッフの遊び心で内緒で実装されたという有名なエピソードがあります(結果的にこのミュウが先述の雑誌企画で配布され、一大ブームの火付け役となりました)。

リンクケーブルを使った通信交換・対戦機能の実現も技術上のハードルでした。
当時のゲームボーイ用ソフトでは対戦型格闘ゲームなど一部を除いて通信機能の活用例は多くなく、RPGで双方向通信を行うのは画期的だったため、通信同期のためのプログラムやポケモンデータのやりとりの仕組みを一から作り上げる必要がありました。

ゲームフリークの増田順一氏(本作ではプログラムと音楽を担当)は、自身のブログやインタビューで「ポケモン交換の通信プログラムが正しく動作したときは感動した」と当時を振り返っています(※増田氏公式ブログより)。このように限られた技術リソースの中で新機能を実現していくため、開発チームは創意工夫を重ねました。

音楽面では、増田順一氏がゲーム中すべての楽曲を作曲しています。ゲームボーイは4音同時発音までという音源制限がありましたが、限られたチャネルを駆使して戦闘曲や街のテーマなど印象的な楽曲を作り上げました。ピコピコとした電子音ながら、ポケモンセンターのやすらぎのメロディやシオンタウンの不気味な曲調など、シーンごとに明確な印象を与えることに成功しています。当時のファミ通のレビューでも、シンプルながら耳に残るBGMや効果音がゲーム体験を盛り上げている点が評価されていました。

グラフィックに関しても、モノクロ画面で如何に個性的なポケモンを表現するか腐心しました。キャラクターデザインを担当した杉森建氏らは、ドット絵でポケモンの特徴を描き分けるために試行錯誤し、結果151匹すべてに独自のシルエットと表情を持たせることに成功しました。

初期の『赤・緑』版では一部ドット絵がラフなものもありましたが、後述する『青』ではグラフィックが改善されるなど、限界まで品質向上が図られています。

UI(ユーザーインターフェース)はテキスト中心でメニュー操作が主体ですが、ポケモンやわざの日本語名は子どもにも覚えやすいよう工夫され、ポケモン図鑑や通信交換画面など直感的に扱えるデザインがされています。
アイテムやポケモンの管理にはボックスシステムを導入し、ゲームボーイという限られた入力手段でも快適に操作できるよう最適化されています。開発陣は手探りの状態から試行錯誤を重ね、結果としてゲームボーイの枠内で最大限の表現力と遊びやすさを両立した作品を生み出したのです。

ポケットモンスター赤・青:システムの違いとゲームシステムの革新

ポケットモンスター 青』は1996年10月15日に日本の一部地域で通信販売限定として発売され、その後1998年10月10日に全国展開されたバージョンです。

当初は『赤・緑』の不具合を修正した「リファイン版」として開発され、野生ポケモンの出現率や一部テキストが調整されています。
野生ポケモンのラインナップでは、従来NPC交換が必須だったルージュラやベロリンガがフィールドに出現し、一方で『赤・緑』限定のポケモンは姿を消すなど、大きな変更が加えられました。

ビジュアル面においても、ポケモンのドット絵が全面的に描き直され、図鑑のグラフィックや看板、メッセージウィンドウのデザインがより洗練されたものへとアップデートされています。

加えて、ハナダシティの民家でゴーリキー⇔ゴースト、グレンタウン研究所でユンゲラー⇔ゴローンといったNPC交換が可能となり、通信ケーブル不要でゲンガーやゴローニャを入手できる新たな遊びが加わりました。

モンスター捕獲・育成・バトルシステム

『ポケットモンスター』シリーズの根幹を成すシステムは、「収集・育成・交換・対戦」であり、これは最初の作品である『赤・緑』の時点で既に完成されており、最新作まですべての本編シリーズに受け継がれています。

ゲームの主な目的の一つは、すべてのポケモンを集めてポケモン図鑑を完成させることでした。

モンスター捕獲システム

  • 野生ポケモンとのエンカウントと捕獲: フィールド上の草むらや洞窟などを歩いていると、野生のポケモンとの戦闘が発生することがあります。野生ポケモンとの戦闘中に、「どうぐ」コマンドからモンスターボールなどのボールを使うことで、野生ポケモンを捕獲し自分の仲間にすることができます。仲間にしたポケモンは、ゲーム内イベントで人からもらったポケモンと同じように育成や交換が可能です。ポケモンをゲットした場合、経験値は得られませんが、ポケモンを倒した場合は経験値が得られます。モンスターボールを投げてからタイミング良くAボタンを押すと捕まえやすくなるという噂もありました。
  • バージョンによる出現ポケモンの違い: 『赤・緑』と『青』では、出現する野生ポケモンが異なります。例えば、『赤』版ではサンド系、ロコン系、ニャース系などが出現しません。一方、『青』版ではロコン系、マダツボミ系、ブーバーなどが出現しません。図鑑を完成させるには、異なるバージョン(『赤』と『緑』または『青』)と通信ケーブルなどを使った通信交換が不可欠でした。
  • 野生での出現が変更されたポケモン: 『青』版では、『赤・緑』版でNPCとの通信交換でしか手に入らなかったルージュラやベロリンガが野生で捕まえられるようになっています。
  • サファリゾーン: セキチクシティにあるサファリゾーンでは、珍しいポケモンが放し飼いにされています。入場料を払うと専用のサファリボールが30個支給され、ボールを全て使い切るか、一定時間経過(一定歩数歩く)で終了となります。『赤・緑』版ではサファリゾーンにケンタロスやガルーラが出現し、捕獲が大変でした。しかし、『青』版ではこの2匹はサファリゾーンには出現しません。
  • ゲームコーナーの景品: タマムシシティのゲームコーナーで、スロットなどで手に入れたコインを景品と交換することでポケモンを入手できます。『赤・緑』版ではミニリュウ系、ストライク、カイロスなどが景品でしたが、『青』版ではこれらのポケモンは景品から消えています。ピッピやポリゴンは『青』版でも景品として存在します。
  • NPCとのポケモン交換: ゲーム内に登場するキャラクター(NPC)と自分のポケモンを交換することで、特定のポケモンを入手できます。『青』版では、ハナダシティの民家でゴーリキーとゴーストを交換でき、通信交換なしでゲンガーに進化させることが可能です。グレンタウンのポケモン研究所ではユンゲラーとゴローンを交換でき、ゴローニャも通信交換なしで入手できるようになりました。また、『青』版ではサファリゾーンで出現しなくなったケンタロスとガルーラが、それぞれ18番道路(ペルシアンと交換)と11番道路(サイドンと交換)のゲートでNPCとの交換によって手に入るようになっています。
  • 伝説のポケモン: 殿堂入り後に挑戦できるハナダシティ北西の名無しの洞窟(ハナダの洞窟)の最深部にはミュウツーがいます。双子島にはフリーザー、無人発電所にはサンダー、『赤・緑』版のチャンピオンロードにはファイヤーといった伝説のポケモンが存在します。マスターボールはこれらの捕獲に使うことが多いです。
  • バグ技: ゲームの仕様を利用したバグ技も存在し、タマムシシティでの手順を経てミュウが出現したり、偶然ミュウに変化したりすることもあったようです。

モンスター育成システム

  • 経験値とレベルアップ: ポケモンはバトルに参加して勝利することで経験値を得て成長し、レベルが上がります。瀕死になったポケモンは経験値を得られません。経験値はバトルに参加したポケモンのみが得られます。通信交換で手に入れたポケモンは経験値をもらいやすくなる(経験値に補正がかかる)と言われています。
  • わざ: ポケモンはレベルアップしたり、わざマシンやひでんマシンを使うことで様々な「わざ」を覚えます。ポケモンが覚えられるわざは最大4つまでです。新しいわざを覚える際に、既に4つ覚えている場合はどれか1つを忘れさせる必要があります。ひでんマシンで覚えるわざは通常忘れさせることができませんが、『金・銀・クリスタル』バージョンを経由することで任意に忘れさせることが可能になります。ひでんわざを使わないと先に進めない場所も存在しました。
  • 能力: ポケモンには能力値があり、レベルアップや特定の道具(マックスアップなど)を使うことで強化できます。『青』以降のバージョンでは、タマムシデパートでマックスアップが店売りされるようになりました。
  • 状態異常と回復: バトル中に「どく」「まひ」「ねむり」「こんらん」「やけど」といった状態異常になることがあります。特に「どく」状態では、マップを歩くごとにHPが減少し、最終的には「ちからつきた」(倒れてしまう)こともありました。ポケモンの回復はポケモンセンターで行うか、キズぐすりなどの道具を使用する必要があり、自然回復はありませんでした。状態異常は野生ポケモンを捕まえやすくしたり、バトルを有利に進めたりするのに役立ちます。
  • 通信進化: 特定のポケモン(フーディン、カイリキー、ゴローニャ、ゲンガー)は、通信交換をすることで進化します。『青』版でNPC交換で手に入るゴーストやゴローンは、交換した瞬間にそれぞれゲンガー、ゴローニャに進化するため、通信交換なしでこれらのポケモンを入手、進化させることが可能になりました。

バトルシステム

  • 戦闘の発生: フィールド上の草むらや洞窟などで野生ポケモンとエンカウントするか、トレーナーの視界に入ったり話しかけたりすることでトレーナーとの戦闘が発生します。トレーナー戦では逃げることができません。
  • 戦闘画面とコマンド: 戦闘は自分と相手のポケモンが斜めに対峙する画面で行われます。選べるコマンドは「たたかう」「どうぐ」「ポケモン(交代)」「にげる」です(トレーナー戦では「にげる」は選べません)。
  • わざとPP: 「たたかう」を選ぶと、覚えているわざのリストが表示され、使用したいわざを選択します。わざにはそれぞれタイプ、威力、命中率、使用回数(PP)が設定されています。強力なわざほど、命中率やPPが低い傾向にありました。
  • 属性(タイプ)相性: ポケモンやわざには「タイプ」があり、タイプには相性関係が存在します。水は電気に弱い、草は火に弱い、火は水に弱いなど、相性を理解することでバトルを有利に進めることができます。ゴーストタイプのわざはノーマルタイプに無効、じめんタイプのわざはでんきタイプに無効といった特殊な相性もあります。初代ではエスパータイプが非常に強力であると言われることがありました。
  • ジムリーダーとポケモンリーグ: ストーリーの目的の一つは、各地にいる8人のジムリーダーに勝利してバッジを集めることです。各ジムリーダーは特定のタイプのポケモンを使い、ジム内部には進行を妨げる仕掛けが用意されています。8つのバッジを集めると、四天王とチャンピオンがいるポケモンリーグに挑戦できます。四天王に勝利すると、最後にライバルとのチャンピオン決定戦が行われます。
  • 全滅: バトル中に手持ちのポケモンが全て「ひんし」状態になると、「めのまえがまっくらになった!」となり、最後に訪れたポケモンセンターに戻されます。

これらのシステムが組み合わさることで、『ポケットモンスター 赤・緑・青』の冒険が成り立っていました。バージョンによる違いや、当時友達との通信交換を通じて図鑑を埋める体験は、このゲームの大きな魅力の一つでした

通信交換と協力プレイ要素

『ポケットモンスター 赤・緑』では、他プレイヤーとのポケモン交換や通信対戦を可能にする新機能が備わっていました。
これにより、同一のソフトだけでは図鑑完成が不可能な「バージョン違い」による収集プレイが成立し、友人との協力がゲーム進行の要となりました。

図鑑を完成させるためには、バージョン別に出現するポケモンを補完し合う必要があり、たとえばフシギダネ系とヒトカゲ系のどちらか片方しか野生出現しない仕様は、友人との交換を強く促す設計でした。

通信にはゲームボーイシリーズ専用の通信ケーブルが必須で、初代ゲームボーイとその後のゲームボーイポケット以降で端子形状が異なるため、変換コネクタを用いるケースもありました。

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『青』版におけるNPC交換による利便性向上

『青』版は『赤・緑』のマイナーチェンジ版として開発され、野生では入手しづらかったルージュラやベロリンガがフィールドで捕まえられる一方で、従来は通信交換でしか入手できなかった交換進化ポケモンを、通信ケーブル不要で得られるように変更されました。

具体的には、ハナダシティの民家で手持ちにゴーリキーを出すとNPCからゴーストを受け取り、その場でゲンガーへ進化させることで、通信進化を介さずに最終形態を得られる工夫が施されています。(メインページ) また、サファリゾーンで捕獲が困難だったケンタロスやガルーラを、特定NPCとの交換で確実に入手できるため、図鑑埋めのハードルが大きく下がりました。

協力プレイとコミュニティ文化の醸成

初代ポケモンの通信交換とリンク対戦は、学校や放課後に友人同士でワイワイ遊ぶ文化を生み出しました。
休み時間にケーブルを繋いで交換し、放課後に持ち寄ったポケモンで対戦大会を開くといったエピソードが、当時の子どもたちの間で社会現象的に広がります。

こうしたローカル通信を通じた協力・競争プレイは、ポケモンを単なるRPGから友人同士のコミュニケーションツールへと昇華させる原動力となり、その後のゲームデザインに多大な影響を与えました。

当時のファン・メディアの反応と文化的影響

『ポケットモンスター 赤・緑』は1996年2月27日にゲームボーイ用ソフトとして発売され、当初はゲームボーイという旧世代機向けタイトルとして大きな期待を寄せられず、初日の出荷本数も約23万本にとどまっていました。さらに年末商戦を逃したものの、翌年のアニメ化やカードゲーム化といったメディアミックス展開が追い風となり、小学生を中心に口コミで支持が急速に広がり、「収集・育成・交換・対戦」というゲームデザインのユニークさが大ヒットの原動力となりました。

その勢いはとどまるところを知らず、1997年6月までに『赤』と『緑』の累計出荷本数は300万本を突破。ローソンが小学館刊行の申込書を利用した独占予約販売を実施するほどの社会現象となりました。

一方、『ポケットモンスター 青』は『赤・緑』のリファイン版として、小学館の雑誌読者向けプレゼント企画から発展し、最初はコロコロコミック誌上限定で通信販売されました。通信販売業務には小学館プロダクションが協力し、その後も反響を受けて販売誌数や取り扱いチャネルが拡大。こうしたユニークな販売手法も話題を呼びました。

また、本作は開発期間の長さとプログラムの継ぎ足し開発によって多数のバグを抱え、インターネットがまだ普及していない時代にも「ミュウ出現の裏技」や「アイテム増殖技」などが全国的に噂となり、プレイヤー同士の情報交換を盛り上げる一因ともなりました。

クリエイターの田尻智氏は、本作の世界観構築にあたりナムコのシューティングゲーム『ゼビウス』から多大な影響を受けたことを語っており、そのデザイン的アプローチがポケモンの神話性やキャラクターデザインの原点となりました。(電ファミニコゲーマー – ゲームの面白い記事読んでみない?)

こうして「口コミによる火付け」「メディアミックス」「通信交換・対戦」「裏技」など複数の要素が相乗効果を生み、『赤・緑・青』の累計国内販売本数は最終的に1,023万本を超え、長年にわたり日本国内での記録を打ち立てました。これらの成功要因は、単なるRPGを超えたコミュニケーションツールとしての「ポケットモンスター」シリーズの確立を促し、以降のゲーム文化にも大きな影響を与えています。

メディアの反応として、ファミ通やゲーム誌はもちろん、小学生向け雑誌『コロコロコミック』などでもポケモン特集が組まれ、攻略情報や裏技(例えば「ミュウ」に関する噂や、特定の操作でバグポケモン「けつばん」が出現する現象など)が紙面を賑わせました。

当時インターネット掲示板は黎明期でしたが、1990年代後半になると個人ホームページ上でポケモンの攻略情報を交換するファンコミュニティも登場し始め、ポケモンはゲームファン同士の交流コンテンツとしてオンライン上でも盛り上がりを見せるようになりました。
特に海外展開が始まった1998年以降、英語圏のファンサイトで日本未公開の「ミュウツー」の存在が話題になるなど、国境を越えて情報交換が行われたことも文化的現象として特筆できます。

ポケモンブームはゲームに留まらず、アニメ・映画・グッズへと大きく発展していきます。1997年4月に放送開始したテレビアニメ『ポケットモンスター』は高視聴率を記録し、主人公サトシと相棒ピカチュウの冒険は子どもたちの間で毎週話題となりました。

翌1998年7月には劇場版アニメ第1作『ミュウツーの逆襲』が公開され、大人も巻き込んで大ヒットを記録します。この劇場版は興行収入や観客動員数で当時のアニメ映画記録を塗り替え、ポケモン人気が頂点に達した象徴的出来事でした。

また、同年にはポケモン専用ショップ「ポケモンセンタートウキョー」が開設され (あゆみ|株式会社ポケモン|The Pokémon Company)、関連グッズ(ぬいぐるみ、玩具、お菓子、文房具など)が飛ぶように売れました。ポケモンカードゲームも子どもたちの間でコレクションブームを巻き起こし、休み時間にカード交換や対戦をする姿が各地の小学校で見られたといいます。

このように初代ポケモン(赤・緑・青・ピカチュウ)の登場は、一大キャラクターブランド「ポケットモンスター」の誕生と定着をもたらし、日本のゲーム文化・キッズ文化に計り知れない影響を与えました。

後に「ポケモンショック」と呼ばれる社会問題(アニメの描写による体調不良事件)も起きましたが、これはそれだけ多くの子どもがポケモンに夢中になっていた裏返しとも言えます。

1999年以降はポケモンブームが世界各国に波及し、米国を中心に“Pokémon”現象として報道されるようになります。
日本発のゲームがここまでグローバルなキャラクター産業へ発展した例は過去になく、ポケモンはNintendoのマリオと並ぶ世界的なIP(知的財産)となりました。こうした文化的影響力の源流に、『ポケットモンスター 青』を含む初代ゲームソフトの革新性と魅力があったことは疑いありません。

まとめ

初代『ポケットモンスター 赤・緑・青』は発売から25年以上経た現在でも高い評価と人気を保ち、レトロゲームの金字塔として位置付けられています。

子ども時代にポケモンに熱中した世代は大人になった今でも強い思い入れを持っており、当時を懐かしむ声や再評価する動きが各所で見られます。

たとえば2021年の6月25日のポケモンカード25周年記念日には、メディアで初代ポケモンの思い出を振り返る特集が組まれ、SNS上でも当時のプレイ体験を語り合う投稿が相次ぎました。「ゲームボーイで育てたポケモンが今の自分をゲーム好きにしてくれた」といったファンの声も多く、初代のゲーム体験がその後の人生に与えた影響の大きさがうかがえます。

ゲームとしての再評価も進んでおり、「オープンワールドRPGが主流の現代において初代ポケモンのゲームデザインを見直す」という試みがゲーム批評家によって行われています。東洋経済オンラインの寄稿では、「発売27年を経てもなお初代『ポケモン』は革命的な中身を持つ。みんなで遊ぶRPGという新しい体験を創出した点でゲーム史に残る傑作だ」と絶賛されました (発売27年、初代「ポケモン」今見ると革命だった中身 「みんなで遊ぶRPG」という新しい体験を創出 | 心が潤う「大人の傑作ゲーム」 | 東洋経済オンライン)。また近年は、初代ポケモンを縛りプレイで楽しむなど、新たな遊び方で盛り上がるコミュニティも存在します。
バグ技の研究や最速クリアを競うRTA(リアルタイムアタック)大会など、発売から四半世紀経った今でも初代ならではの遊びが生み出されており、根強い人気を示しています。

任天堂も公式に初代作品の価値を再認識しており、デジタルアーカイブやリメイクで初代ポケモンを蘇らせる取り組みを行ってきました。
2016年には『赤・緑・青・ピカチュウ』のゲームボーイ版4作品がニンテンドー3DSのバーチャルコンソール向けソフトとして配信されました。
配信日は奇しくも『赤・緑』発売20周年となる2016年2月27日で、当時を知るファンに大きな話題となりました。このVC版ではゲーム内容自体は忠実に再現されており、モノクロ画面など20年前の雰囲気をそのまま味わえるようになっています。
異なるのは通信機能の部分で、ゲームボーイでは物理的にケーブル接続が必要だった交換・対戦が、3DS版ではワイヤレス通信に置き換えられました。
これにより現在の環境でも煩雑な手間なく当時の通信要素を楽しむことができます。さらに驚くべきは、VC版で捕まえた初代ポケモンたちを当時最新作だった『ポケットモンスター サン・ムーン』へ連れて行ける連携機能が公式に用意されたことです(ポケモンバンクを経由した連動)。この仕組みによって、20年前のゲームから最新世代へポケモンを転送するという、世代を超えた交流が実現しました。「長年眠っていた手持ちのピカチュウを現行作品で活躍させられる」とファンを喜ばせ、初代ソフトのデータまで大切に保管していたトレーナーたちが熱狂したエピソードもあります。

リメイク作品としては、2004年に発売されたゲームボーイアドバンス用ソフト『ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン』が挙げられます。
これは初代『赤・緑』のストーリーをベースに、当時の最新ハード性能でグラフィックやシステムを刷新したもので、新たな要素も追加されました。

ファイアレッド・リーフグリーンでは初代では登場しなかった地域(セビキ諸島)が追加され、『青』や『ピカチュウ』版の要素も取り込まれています。また、2018年にはニンテンドースイッチ向けに『ポケットモンスター Let’s Go! ピカチュウ・Let’s Go! イーブイ』が発売され、初代のカントー地方を舞台にした作品が現行機でリメイクされました。これらリメイク作品により、当時を知らない新しい世代のプレイヤーも初代ポケモンの物語や世界観に触れる機会が提供され、初代の遺産が形を変えて受け継がれています。

現代ではゲームアーカイブスやレトロゲームブームの中で、初代ポケモンのカートリッジもコレクターズアイテムとなっています。
動作する状態の『ポケットモンスター 青』限定版(小学館通販版)はネットオークションで高値で取引されることもあり、保存用に入手するファンも少なくありません。また、Nintendo Switch Onlineなどでゲームボーイタイトルの配信が開始された際には「初代ポケモンも配信してほしい」という声が根強く、ポケモン公式も「皆様の声は届いている」とコメントするなど話題になりました(2023年時点)。こうした熱量は、『ポケットモンスター 青』を含む初代作品が今なお色褪せない魅力を持ち、ポケモンシリーズの原点として特別な存在であることを物語っています。

25年以上にわたるポケモンシリーズの歩みの中で、『ポケットモンスター 青』は単なるバージョン違い以上の意義を持っています。発売当時に子どもだったプレイヤーが親世代となった現在、自らの子どもに初代ポケモンをプレイさせ「当時と同じ驚きを体験してほしい」と願う声も聞かれます。『青』はポケモンブームをさらに押し広げたキーパーソン的作品である」と評価されており、限定販売というレアリティも相まって当時のファンに強い印象を残したと述べられています。

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